テレビ


 先ほどまでやっていた「爆笑問題のニッポンの教養スペシャル 表現力!爆笑問題×東京藝術大学」が面白かった。

 番組終盤、爆笑問題x菊地成孔x宮田亮平(東京藝術大学学長)x芸大学生達の討論。これが特に。

 爆笑問題太田さんの「(表現とは)人が見ないんじゃしょうがないと思ってる。」という主張。大衆に届いてこそ、表現する意味・意義があって、それこそが表現の根源だという意見。

 相反する、「大衆性を目的にするあまり表現の本質を見失ってはいけない。」というなんだかちょっと頼りない芸大先生方の意見。(その本質とは何なのかの話なのだ。)

 学生からは「後世に受け継がれる偉大な表現(特にアート作品)もある中、いま同時代の大衆に受け入れられる事が最重要ではない。」と、いったような、少しうろ覚えで感覚で書いてますが、そんな”ような”反論も飛び出ておりました。

 僕はメディアの人間であって、表現者・・いわゆるアーティストではないので、こんな事真剣に話し合っている番組をまだまだ地上波で流しているNHKさんやはり偉大だと敬意を抱きつつ、やっぱりちょっと表現についても思う。

 「人が見てないんじゃしょうがないと思ってる。」

 爆問太田さんの意見は、「っていうか、ただ”それだけ”?」って事を繰り返し言っていたと思うんだけど、個人的にも「ただそれだけ」だと思うんすよ。

 表現って言ってしまうと視野が広すぎますが、例えばアートなんて言われるものは、社会との摩擦で生まれてくるもんなんじゃないのかなって。社会を感じないで出てくる表現なんて、ただの誰かの受け売りだったり、憧れを自分の中で噛み砕いただけの何かなんじゃないのかなって。

 社会があって、その中に幸福があって、許せない事があって、それと自分との距離感の間を埋める為に生まれてくるのが表現であって、大衆=社会 意識しないで何がそこに生まれてくるのって。見てて、少し、思いました。