CD評

 先週末とあるレコード会社の方と話す機会があったのですが、曰く「最近は雑誌からCD評のページが減っている」んだそう。
 レコード会社も財政は非常に厳しいようで、雑誌への出稿が減っている。一方で、出版側も経費削減という事でコンテンツを振るいにかけた時に、レコード会社から出稿のない現状を踏まえて、CD評などのページを真っ先にカットしていくという負のスパイラルが起こっているらしい。

 個人的には、雑誌を読むといったらほぼ音楽誌なので、そんな現状にあるなんて事は一切肌で感じていなかったけど(音楽誌が音楽を扱わなくなる事はないし)、一般的な、例えばファッション誌や、音楽以外のカルチャー誌のおまけでついてる音楽ページは減っていっているのかもしれない。自分では目の当たりにしていないから、現状どうなのかは解らないけど。

 ただ、もしそれが本当にそうだとしたら、やはり寂しいものがあるなぁ。

 個人的に雑誌のCD評、いわゆるレビューのページっていうのはとても好きです。前述した通り、仕事柄、音楽誌は一番買うんだけど、特集記事やインタビュー記事をろくすっぽ読まなくても、レビューページだけは目を通したりします。
 例えばひとつのレコード、CD、楽曲を、人がどんな思いで聞いているかかとか、どんな解釈をしているかがとっても興味があるからだと思う。音楽なんて何がよくて何が悪いかなんて答えなんてないし、聞いてる人がいればいるほど解釈が違っておかしくないものだから、それぞれの解釈にとても興味が湧くんです。
 勿論、解釈に答えがないのであれば、むりくり“定義付け”するようなレビューなんて馬鹿らしいという意見もあるだろうし、出稿の恩恵を授かったゴマすりつぶしの激甘CD評論なんて見たくもないという意見もあると思う。でも、だったらそれを踏まえた上で自分なりの聞き方をすればいい。少なくとも僕は、そんな音楽の聞き方が好き。そりゃ時にはレビュアーの意見に完全に同調して、自分の解釈など無しにその音楽に浸る時だってある。自分じゃ頭弱くて判断し切れないから、人の意見に同調する事がある。でも、そうやって同調の輪が広がって、名盤は生まれていくと思ってる。僕ら他人が居る社会の中で生きているんだから。
 「ブレイクするって事は馬鹿に見つかるって事。」誰かが書いたブログのエントリで知った芸人・有吉弘行さんの言葉だけど(誰のブログだったか・・・思い出せなくて本当にごめんなさい)、そうだろうなと思う。馬鹿のひとりとして、その意見には賛同。人類皆頭のいい音楽通だったら、名盤なんか生まれやしない、きっと。

 ただ、いまやネットでいくらでもレビューは見れるし、雑誌からCD評が消えたって、音楽に対する誰かの“声”が消えていくって事では決してないとは思う。とどのつまり、オピニオンがネットに移行しているって言うだけの単純な話だと思うんだけど、過渡期の今、雑誌は雑誌でまだ影響力がある分、音楽が無視されはじめたってのはなんだか寂しいよね。 ・・・で、本当にCD評ページ減ってんのかな?まずそこちゃんと裏を取れって話ですよね。はい。すみません。