Utada「ジス・イズ・ザ・ワン」

This Is The One

This Is The One

 Utada名義のセカンド。
 前作「EXODUS」と大きく違うのは、プロデューサーの起用。今作では、スターゲイト(NE-YO、リアーナ、ビヨンセほか)、トリッキー・スチュワート(ブリトニー・スピアーズ、マドンナ、マライア・キャリーほか)の2組が全面的に参加。前作でも数曲はティンバランドのプロデュースだったけれど、ほぼセルフプロデュースだった。

 「キャッチー、ポップ、耳馴染みの良さ」を重視して出来上がったという完全セルアウト作品。「ラジオとかでかかっていたらスッと入ってくるような、オーディエンスと繋がるようなものを作りたいなと思ってました。」とは、本人談。近年アメリカのポップマーケットで定評のあるスターゲイトやトリッキー・スチュワートといったプロデューサー陣を起用しての新作とあらば、そりゃあ大衆へのアプローチは念頭に置くでしょうね。国内で900万枚もアルバム(「First Love」)を売っておいて、さらに「オーディエンスと繋がりたい」とは、ジョークのようなテーマだよね。

 また、別のインタビューでは「わかりやすくて、それでいて安っぽくない音楽を作りかった。低俗だったり、バカげたものではなく、それでいて幅広い層の聞き手にアピールする音楽を・・。」と、アルバムの音楽性(芸術性?)と大衆性の両立について明言。そうさせた理由に「単に自分の世界に閉じこもっているクレイジーなアーティストにはなりたくない。」と言い放っている。

 宇多田ヒカルの音楽は気高い。
 丁度「DEEP RIVER」位を境目に強烈に深化していった彼女の音楽は、どの曲にもそこはかとない孤独匂がつきまとっていて、到底、国内一CDを売るミュージシャンの音楽とは思えない。しかしそこが、宇多田ヒカルという魅力なんじゃないかなと考える。

 だからこそ物足りない。
 ぶっちゃけて言うと、スターゲイトのトラックが宇多田ヒカルと化学反応を起こしているとは到底思えない。そこが一番もどかしい。
確かにヒット・メーカーとして名高いスターゲイトだけど、彼らのトラックメイクってNe-Yoの「ソー・シック」から全く印象が変わらなくて、手垢つきまくっちゃってるじゃない。だから音の印象が惜しくも「古い」。宇多田ヒカルの曲に、俗っ気だけを注入してしまっているような気がしてならない。

 「売れっ子プロデューサーを起用して、アメリカに戦いを挑む。」なんていうレビューを書いている雑誌もあったけど、果たしてこの音が、今のアメリカの温度感にフィットしているのかが不安だなぁ。「ソー・シック」も「イレプレイスブル」も3年前のヒット曲。中田ヤスタカプロデュース全盛のご時世に、つんくプロデュースで勝負するような危うさがあると思うのだけど・・。どうなんだろうね。

 幅広いリスナー層にアプローチ出来る、普遍的なアルバム作りを目指した今作でのヒッキー。「あなたが作る」っていうだけで幅広いリスナー層にアプローチできるんだから(こと、国内に関しては)、オルタナティブに振り切った作品とか、いつか聞いてみたいなぁ!